NPO京都龍馬会理事長の赤尾博章氏の講演「龍馬と妻お龍」を拝聴しました。
舞台に登場された赤尾氏のスタイルに一瞬びっくり!
さすが龍馬会の理事長だけあって、紋付袴の龍馬スタイルで登場。
受付で手渡された資料「坂本龍馬年表」は、小説や大河ドラマ諸々とは違って、お龍66歳の回想録「反魂香」や様々な書簡等、正しい資料に基づくものによるものであることが強調された。
京都に於ける龍馬に因む石碑建立も行っておられるようで、今までにお龍の実家・龍馬とお龍の結婚式場跡青蓮院塔頭金蔵寺跡・龍馬・お龍独身時代寓居跡の三か所、そして今秋建立予定というのが、龍馬葬儀葬送の路とか。
又、龍馬命日には、提灯行列(毎年命日近くの土曜日)も行われていて、( 昨年は参加者約100名)、今年は11月13日とのこと。
お龍と龍馬との結婚生活は、別居で3年間。
お龍が、龍馬の死を知ったのは、下関であった。
その後近江商人西村松兵衛と再婚し、西村つるとして、30年間の結婚生活を送るが、お墓には「坂本龍馬の妻」と書かれているそうです。
写真は、三条京阪構内でのもの
寺田屋事件で、お龍は素っ裸ではなく、着物一枚を纏い、龍馬に急を告げに行くが、既に龍馬はその襲撃を察知していたようで、中岡慎太郎は袴を身に着けて準備をしていたが、龍馬は隣の部屋に袴を置いてあったので、袴ナシで挑んだらしい。
左右の指を負傷した龍馬は、「やはり、袴を付けないと動きにくい」と、言っていたそうだ。
誰に暗殺されたのか?
色々な説があるが、龍馬は、寺田屋で2名短銃で殺しているので、おそらく旧幕府側見廻り組の佐々木只三郎以下7名により、暗殺されたのではないかと言われている。
龍馬と岩崎弥太郎とが幼馴染である事は、大河ドラマ内での話で、「亀山社中」や「土佐勤皇党」などの名称もその時代には無く、「船中八朔」も司馬遼太郎の小説の中での物であること等、フィクションかノンフィクションか、錯覚を起こさないようにありたいものです。
写真は、三条京阪構内に立つ龍馬像。
政治力の入れ替わる非常に難しい狭間での事件。
昨日迄の犯罪者が英雄に成りかねない新旧入り乱れた中で、生き残るかどうか・・・。
前途洋々たる龍馬の若い命が絶たれたことが、何を意味するのか・・・・・
しかし、NHK大河ドラマの福山龍馬のカッコ良さもあるが、龍馬の人気は増すばかり、近江屋で命を落とさず、龍馬が存命だったなら、世の中はどのようになっていたのだろうか?
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